大阪地方裁判所 昭和37年(行)47号 判決 1967年9月29日
芦屋市南宮町五三
八重子こと
原告
小田やゑ子
右訴訟代理人弁護士
西田順冶
大阪市東区大手前之町
被告
大阪国税局長
近藤道生
右指定代理人
坂上龍二
同
本野昌樹
法務大臣指定代理人
川井重男
同
矢野留行
主文
一、被告大阪国税局長が原告に対し昭和三七年六月二九日附をもつてなした昭和三二年分贈与税の更正処分および昭和三三年分贈与税の決定処分に対する各審査決定はいずれもこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、申立
(原告)
主文一、二項同旨。
(被告)
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決。
第二、争いのない事実(但し、各物件の個別的事情に関するものを除く)
一、昭和三二年分贈与税更正処分および同三三年分贈与税決定処分
西宮税務署長は、昭和三五年六月二〇日、原告が昭和三二年中に別紙第一目録記載の物件を、同三三年中に別紙第二目録記載の物件をそれぞれ訴外小田栄吉より受贈しているとして左の如き課税処分をおこなつた。
(1) 昭和三二年分贈与税更正処分
(イ) 受贈物件 別紙第一目録記載の土地および家屋
(ロ) 贈与財産価額 四、七五九、四一六円
(ハ) 本税額 一、四七八、七六〇円
(ニ) 加算税額 三六九、五〇〇円
(2) 昭和三三年分贈与税決定処分
(イ) 受贈物件 別紙第二目録記載の家屋
(ロ) 贈与財産価額 一、六八六、五二一円
(ハ) 本税額 三九五、二七〇円
(ニ) 加算税額 九八、七五〇円
二、原告の不服申立と被告の審査決定
これに対し、原告は、右各物件を栄吉より受贈したことはなく右課税処分は不当であるとして右各処分につき再調査請求をしたところ、被告は、これを審査請求とみなして審査を行い、昭和三七年六月二九日原告の右各請求を棄却する旨の審査決定(以下、本件審査決定という)をなした。
三、前記各物件に関する登記
別紙第一、二目録記載の各物件については、それぞれ原告主張の日時にその主張の如き内容の各登記がなされている。
第三、争点
(原告の主張)
一、本件審査決定の違法性
被告は、原告と栄吉が夫婦であること、栄吉は相当の事業を経営しているが原告自身は無職で格別の資産や収入があるとは認められないことを理由として上記各物件は栄吉から原告に贈与されたものと認定したというのであるが、原告は昭和二一年に栄吉と結婚したもののその後間もなく別居生活に入り、原告自身、大和綿花株式会社(以下大和綿花という)に勤めるなどして自活の途を講じてきたもので、世間普通一般に考えられているような夫婦として生活を共にしているものではなく栄吉から上記各物件を無償で贈与されるような関係ではなかつた。右物件中原告の取得したものはいずれも原告自身の手持資金および借入金によつて購入したものであり栄吉から受贈したものではない。
また、被告の右各物件の価額の認定は実際の取引価額に比して著しく高額に失し実質課税の原則に反するものである。すなわち、被告は上記各物件につき原告名義の所有権移転登記のなされたときに贈与があつたとみなし、一定評価基準を適用してその価額を算定しているが、このような認定はあくまでも擬制であり必ずしも真実に合致するものではないのであるから、贈与の時期ないしその価額を客観的に証すべき証拠のない場合に限り許さるべきものである。しかるところ、上記各物件の取引の経過およびその価額が以下に述べるとおりであることは証拠上明らかなのであるから、これを無視してなされた被告の認定は実質課税の原則に反し違法である。
二、昭和三二年度課税処分の違法性
(一) 弓場町の土地(別紙第一目録(一))について
(1) 右土地について昭和三二年二月二日付で原告所有者名義の移転登記がなされているが、右土地は栄吉の所有物件であつて、原告のものではない。右登記がなされるに至つた経過は次のとおりである。
右弓場町の土地はもと中田ますの所有に属していたものであり、昭和二三年七月ごろ栄吉がこれを当時の時価、坪当り、五〇〇円で買受けその所有権を取得したのであるが、栄吉はその所有権移転登記手続を右ますに一任していたところ、登記手続上の過誤により右弓場町の土地の隣地で同女の所有にかかる同町一二三番、田一、〇九〇九〇、平方メートル以下本件田という)につき栄吉に対する所有権移転登記がなされてしまつた。
ますは、その後右登記の誤りを発見しこれを訂正しようとしたが、手続上容易に訂正できない事情にあつたため、同女は昭和三一年一〇月ごろ前記田も買取つてほしい旨栄吉に申入れてきたが、当時、栄吉は事業に失敗し負債が相当あつたのでこれを断り、原告が金四〇〇、〇〇〇円でこれを買受けたのであるが、登記簿上は右田についてすでに栄吉名義の所有権移転登記がなされていたので、便宜、弓場町の土地につき原告名義の所有権移転登記をうけたものである。
右のとおり、登記簿上は原告が昭和三二年二月二日に本件弓場町の土地を取得したものの如く記載されているが、原告が実際に買受け所有しているのは右弓場町の土地の隣地たる本件田であり、弓場町の土地はすでに昭和二三年七月二三日に栄吉が買取り同人が所有しているものである。したがつて、登記簿上昭和三二年二月二日付で原告名義の所有権移転登記がなされていることを理由に、栄吉から原告に贈与されたものとした被告の認定は違法であり取消さるべきである。
(2) 仮りに、右弓場町の土地が栄吉から原告に贈与されたものであるとしても、右土地は昭和三二年二月当時、株式会社小田商店(以下小田商店という)がますより賃借、占有していたものであるから、その贈与財産価額の算定にあたり賃借権の価額を控除すべきことは、相続税法二二条後段の解釈としても、また、被告の指摘する評価規定によつても当然のことである。しかるに、被告が全くこれを考慮しないで右土地の価額を評価算定しているのは違法であり許されない。
(二) 弓場町の家屋(別紙第一目録(二) (イ) (ロ))について
(1) 右家屋は、もと栄吉の実兄である岩吉が所有していた四棟の建物のうちの一部であり戦災により相当の損傷を受けていたものを小田商店が昭和二一年ごろから仮修理(補修)して使用していたものであるが、昭和二二三年ごろ左記方法によつて、原告と岩吉の間に建物の交換がおこなわれ、これによつて原告がその所有権を取得したものである。すなわち、
原告は、昭和二二、三年ごろ岩吉の所有にかかる弓場町六四番地上に原告が淡路島の実家から取寄せた若干の材木と当時手持の古材をもつて、木造瓦葺二階建居宅一棟、建坪四四・〇九平方メートル二階坪三五・〇七平方メートルを総費用(含材木代)約一〇〇、〇〇〇円で建築しこれを前記弓場町の家屋と交換したものである。しかして、右交換後直ちに原告は弓場町の家屋を、岩吉は、右居宅をそれぞれ使用、占有していたが、登記手続は未了であつたところ、その後何れも担保権設定の必要が生ずるに至つた為、岩吉は前記居宅につき昭和二九年九月八日付で保存登記をなし、原告は弓場町の家屋につき同三二年三月一五日付で所有権移転登記を了したものである。したがつて、右家屋が栄吉から原告に贈与されたものでないことは明らかであり、被告の認定は誤りである。
(2) 仮りに、右家屋が栄吉より原告へ贈与せられたものであるとしても、右建物のうち別紙第一目録(一)(イ)のものは戦災により僅かに柱と屋根を残すのみのものであり、他の一棟同目録(ロ)のものも、昭和二三年当時すでに建築後五〇年以上を経過した老朽建物で当時の価額としては右二棟の合計額をもつてするも金一〇〇、〇〇〇円に達するか達しない程度のものでありこれを等価交換したものである。したがつて、栄吉より原告へ贈与した時期ないし右家屋について何等実体的調査をなすことなく単に評価基準書によつてなされた被告の認定(評価額八〇八、五六〇円)は実質課税とは程遠いものであり、到底許されない。
(三) 安堂寺橋の土地(別紙第一目録(三))について
(1) 右土地は、もと大平武俊の所有であつたが、昭和三二年三月ごろは周囲を他人の土地、建物によつて囲まれた袋地となつており(表側道路に通ずる部分には小田商店所有の土地および建物があつた)、第三者には容易に売却できない状態となつていたため、困惑した大平は、隣接地の家屋(別紙第二目録の家屋)に居住していた原告に対し買取方を求め近隣地の時価よりも格安の坪当り一〇、〇〇〇円でよいとのことであつたので原告はこれを三二二、八〇〇円で買取り同月一二日付で所有権移転登記を了したものである。しかして、右買受け代金のうち二〇〇、〇〇〇円は向井常七より借用した金員で、残額一二二、八〇〇円は手持資金で原告自身が支払つた。なお、右向井に対する借入債務の担保のため同月三一日付で右土地につき抵当権を設定している。
以上のとおり、安堂寺橋の土地は原告が原告自身の出捐において購入したものであり、栄吉より受贈したものではない。
(2) 仮りに、右土地の買主は原告ではなく栄吉であり、栄吉が原告へ贈与したものであるとしても、その売買価額は前述のとおりであり、これは附近一帯の土地の価額に比すれば極めて安いものであつたが、それは既述の如き特殊事情よりして止むを得なかつたものであり売主たる大平も何らの異議なくこれを承認していたものである。しかして、大平は、当時所轄税務署において右売買価額(三二二、八〇〇円)を基準として所得税(一時所得)を支払つているのであり、売主(大平)、買主(栄吉)、受贈者(原告)の三者間において時価に差異があるべき筈はないのに、原告の取得価額のみが売買価額の数倍にあたる一、七七五、四〇〇円と認定されているのは不平等も甚しく衡平の原則に反するものであり許されない。
三、昭和三三年度課税処分の違法性
―安堂寺橋の家屋(別紙第二目録の建物)について―
(1) 右家屋は小田商店が昭和二七年一〇月二二日に新築したものであるが、同商店は資金繰りのため島本操より金五〇〇、〇〇〇円を借用しその支払担保のため右家屋を譲渡担保として島本に提供しその旨の所有権移転登記を経由した。
しかるところ、同商店は昭和二八年五月頃倒産するに至つたが右家屋には原告が居住していたため島本から右家屋を買取るか、明渡すか何れかを選ぶよう強硬に要求せられ、原告が止むなくこれを右債権額五〇〇、〇〇〇円で買取ることになつた。
しかして、原告は藤木仙太郎から借入れた二〇〇、〇〇〇円および飯田真二から借用した三〇〇、〇〇〇円の合計五〇〇、〇〇〇円をもつて右島本に対する売買代金を支払つて前記家屋の所有権を取得し、以来右家屋についての公租公課も原告が支払つてきたのであるが、当時小田商店に対する多数の債権者が右家屋に注目していたので、直ぐには原告の所有名義とせず登記簿上は義兄辻静三の名義を借用し同人名義に所有権移転登記をしていたところ、偶々納税が遅れて登記上の所有名義人たる辻に対し督促通知がいつたりしたため辻から名義書替を要求されこれ以上同人に迷惑をかけるに忍びないので昭和三三年八月三〇日売買の形式によつて辻から原告への所有権移転登記を了したものである。
したがつて、右家屋が栄吉から原告へ贈与されたものでないことは明らかであり被告の認定は誤りである。
(2) 仮りに、右家屋が栄吉より原告に贈与せられたものであるとしてもその価額の算定にあたりこれを担保とする前記島本に対する債務五〇〇、〇〇〇円相当額を控除すべきであるのにこれを全く控除していないのは違法であり、その認定が如何に杜撰であるかは、被告が本件審理中の昭和四〇年三月一八日突如として昭和三三年分贈与税決定処分(前出第二の一の(2))の一部を取消し取得財産の価額を四八一、八六三円減額し、一、二〇四、六五八円とする旨の決定をしたことによつても明らかである。
(被告の主張)
一、本件審査決定の適法性
原告は、本件各物件は原告自身が購入したものであり贈与を受けたものではないと主張するが、被告の調査によると原告は栄吉の妻であり、原告自身は無職で格別の資産や収入があるとは認められず、したがつて、原告自身が本件各物件を購入したと認むべき余地はなく、一方原告の家庭の世帯主である栄吉は相当の事業を経営しているものと認められたので、本件各物件はこれにつき原告名義の所有権移転登記がなされたときに栄吉から原告に贈与されたものと認定した。
しかして、被告は法令および通達により定められた評価基準にしたがつて贈与時における右各物件の時価を算定したものであつて、本件審査決定には何らの瑕疵はなく適法妥当なものである。
二、昭和三二年度課税処分の適法性
(一) 弓場町の土地(別紙第一目録(一))について
(1) 右土地はもと中田ますの所有であつたものを原告の夫栄吉が昭和二三年七月ごろに買取り所有していたものであるが、同人は昭和三二年二月二日これを妻たる原告に贈与し原告への所有権移転登記を了したものである。登記簿上、ますから直接原告への所有権移転登記がなされているのは中間取得者たる栄吉名義の登記を省略したものにすぎない。
栄吉が右弓場町の土地を買受けた際、登記手続上の過誤によりその隣地たる本件田につき栄吉名義の所有権移転登記がなされたことは原告の主張するとおりであるが、その後ますが右登記上の誤りに気づいた時はすでに右田につき栄吉が第三者に対する抵当権を設定しており訂正が困難な事情にあつたため、ますはやむなく右田をも栄吉に売却したものであり、原告に売却したものではない。したがつて、原告が右田を買受けその代金も原告が支払つたというのは事実に反するが、仮りにそうだとしても、右弓場町の土地を栄吉が買受けたことについては原告も争わないところであるから、前述の如くこれにつき原告名義の所有権移転登記がなされたときに栄吉から原告へ贈与されたものといわねばならず、原告の主張は理由がない。
(2) 価額の算定
右土地の贈与財産価額は二、一七五、四五六円。
右算定の根拠は別紙価額算定書(一)のとおり。
原告は右土地は小田商店が賃借、占有していたものであるから賃借権の価額相当額を控除すべきであるというが、小田商店がこれを賃借、占有していた事実はないから、原告の右主張は失当である。
(二) 弓場町の家屋(別紙第一目録(二)(イ)(ロ))について
(1) 右家屋は、もと栄吉の実兄岩吉の所有でこれを栄吉の主宰する小田商店が使用していたものであるが、栄吉は営業上の必要からこれを岩吉より譲受け、その代償として岩吉所有地(弓場町六四番地、岩吉居住家屋の裏側)に家屋を新築し、昭和二二年頃これを岩吉に引渡したものである。原告は右岩吉に引渡した家屋は原告の実家より取寄せた材木と手持の古材をもつて原告が建築したと主張するが事実に反する。当時原告は家庭の主婦であり、一家の主宰者である栄吉が資材、資金を調達して新築したものである。
右岩吉に引渡された家屋は建築後未登記のまま数年経過し、昭和二九年九月ごろに至り抵当権設定の必要上始めて岩吉名義で保存登記がなされ、栄吉の取得した弓場町の家屋についても栄吉への所有権移転登記がなされず岩吉の所有名義のまま経過したが、昭和三二年三月一五日に至り原告名義に所有権移転登記がなされたのであるから、右登記の際に栄吉から原告へ贈与された(登記簿上は中間省略により直接岩吉から原告へ移転された如く記載)ものといわざるを得ない。通常親族間の贈与による権利移転は明示の契約を欠く場合が少くなく、その時期につき明確な資料を得られないので、移転登記の時期をもつて贈与の時期と認定せざるを得ないものである。
(2) 価額の算定
右家屋の贈与財産価額は八〇八、五六〇円
右算定の根拠は別紙価額算定書(二)のとおり。
(三) 安堂寺橋の土地(別紙第一目録(三))について
(1) 右土地は、栄吉が昭和二五年頃、隣地とともにもとの所有者大平武俊より賃借し同年一〇月頃、同地上および隣地にまたがる家屋(別紙第二目録のもの、登記簿上の所有名義人は小田商店であつたが、原告夫婦が居住していた)を建築したものであるが、昭和三二年三月頃、栄吉は右土地を大平より買受け、同月一二日(原告への所有権移転登記の日)に原告へ贈与したものである。原告は右土地を三二二、八〇〇円で買受け手持資金や借入金によつて右代金を支払つたというがいずれも事実に反する。
(2) 価額の算定
右土地の贈与財産価額は一、七七五、四〇〇円。
右算定の根拠は別紙価額算定書(三)のとおり。
右価額は贈与の日(昭和三二年三月一二日)の時価によつたものであつて原告の主張する特殊事情は事実に反し理由がない。すなわち、
右土地の売買価額が原告の主張どおりであつたとしても、それは当時金策に困つた大平が同地上に借地権を有する栄吉に売却申込を行うという不利な売買条件のもとに成立した価額であり、そのうえ買受人は借地権者であるから当然借地権価額を除いたいわゆる底地価額であつたとみられる。
また、原告は右土地が袋地であると主張するが、もともと右土地とその隣接地(道路に面した土地)は一筆の土地であり栄吉が両地上にまたがる建物を建築し同一の目的に利用される一団の土地として使用していたものである。その後、右土地は売却の利便のため大平によつて分筆せられ右安堂寺橋の土地は栄吉に売却せられたのであるが借地権の負担を受けかつ袋地となる可能性のある右土地の売買が行われたのは買主が右土地の借地権者でありかつまた隣接地の借地権者である栄吉だつたからにほかならない。しかして、右の如く安堂寺橋の土地およびその隣地を一団として利用するという状態はその後も変らなかつた(結局、両地とも栄吉が買取つている)のであるからこのような事情を考え合わせれば、右土地の価額の評価に当つて袋地と認める必要はないのであり、原告の主張は失当といわねばならない。
三、昭和三三年度課税処分の適法性
―安堂寺橋の家屋(別紙第二目録の建物)について―
(1) 右家屋は、昭和二五年頃に建築され小田商店名義で所有権保存登記がなされたものであるが、同二七年一二月一三日島本に対する譲渡担保として同人名義に所有権移転登記がなされた。その後昭和二八年五月に至り小田商店が倒産し借入金の返済が不能となつたので、栄吉が右島本に対する債務を肩替り返済して右家屋を買受け、所有権を取得した。しかるに栄吉は、その所有権移転登記に際し辻静三の名義を借用することとし昭和二八年五月一九日付で同人名義に登記したがさらに同三三年八月三〇日原告に所有権移転登記をしたものである。
したがつて、辻名義の登記は単なる名義の借用にすぎないこと、原告と栄吉は夫婦関係にあること、右家屋の敷地(別紙第一目録(三))はすでに前年原告名義になつていること等を勘案すれば、右原告への所有権移転登記がなされたときに、右家屋は栄吉から原告へ贈与されたものと認めざるを得ない。
(2) 価額の算定
右家屋の贈与財産価額は一、六八六、五二一円。
右算定の根拠は別紙価額算定書(四)のとおり。
原告は、右価額の算定につき島本に対する債務相当額五〇〇、〇〇〇円を控除すべきであるというが、右島本に対する債務は栄吉が肩替り返済したもので原告は右債務が返済され負担のなくなつた後に無条件で栄吉より受贈したものであるから、原告の右主張の理由のないことは明らかである。
第四、証拠
(原告)
(1) 書証 甲一ないし三号証、同四号証の一、二、同五号証、同六号証の一、二、同七号証の一ないし一、一二、同八ないし一五号証。
(2) 人証 証人中田重介、同小田岩吉、同大平武俊、同村田秋雄、同小田栄吉の各証言、原告本人尋問の結果。
(3) その他 現場検証の結果。
(4) 否認 乙五、六号証の成立は不知。その余の乙号各証の成立は認める。
(被告)
(1) 書証 乙一号証の一ないし六、同二号証の一ないし三、同三ないし六号証
(2) 人証 証人中田重介、同小田岩吉、同小林徳治郎、同大平武俊、同本野昌樹の各証言。
(3) 認否 甲七号証の一ないし一二、同九号証の成立は不知。その余の甲号各証の成立は認める。
理由
第五、争点に対する判断
一、昭和三二年度審査決定の適否
(一) 弓場町の土地(別紙第一目録(一))について
右土地について昭和三二年二月二日附で原告に対し所有権移転登記がなされていることは当事者間に争いがないところ、被告は、原告と小田栄吉が夫婦であること、原告には自己資金ないし借入金によつて右土地を買取るだけの資力があつたとは認められないことを考慮し右土地は栄吉から原告に贈与されたものと認定した旨主張する。よつて、以下被告の右認定の当否について検討するに、
(1) 証人小田栄吉、同村田秋雄の各証言および原告本人尋問の結果によると、原告と栄吉は昭和二一年ごろ結婚し二児をもうけたが、栄吉には他にも女があり、同女との間にも一児が生まれたことから、原告と栄吉との夫婦仲が破綻し、同二四年ごろから事実上別居状態となり、以後原告が二児を養育してきたが、原告は、栄吉から子供の養育費として月額一五、〇〇〇円ないし二〇、〇〇〇円、原告自身の勤務先大和綿花からの給与月額二五、〇〇〇円位を得ていたほか、布団のカバー縫い等の内職による賃金をその収入としていたことが認められる。
(2) ところで、右弓場町の土地について栄吉が昭和二三年七月ごろ、その所有者であつた中田ますからこれを買受けたこと、したがつて、右土地については栄吉への所有権移転登記がなさるべきところ登記手続上の過誤により右土地の隣接地であり同じくますの所有であつた本件田につき栄吉への所有権移転登記がなされたこと、その後、ますは右登記の誤りに気ずきこれを訂正しようとしたが手続上訂正が困難であつたこと等の事実については当事者間に争いがないところ、成立につき争いのない甲四号証の一、同六号証の一、二、弁論の全趣旨により成立を認むべき同七号証の一ないし一二、証人中田重介、同村田秋雄、同小田栄吉、同小林徳治郎(一部)の各証言および原告本人尋問の結果によると、昭和三一年一〇月ごろ、前記登記の訂正の困難なことを知つたますは、前記田をも栄吉に買取つてもらつてもらうべく夫重介を介して交渉にあたつたが、当時栄吉としては事業に失敗して行詰つておりこれを買取るだけの充分な余裕はなく原告からこれを買取つてもよい旨の申入れがあつたのでこれを承諾し右田を原告に対し四〇〇、〇〇〇円で売却したこと、しかし右田については前記のとおりすでに栄吉名義の所有権移転登記がなされその訂正が困難であつた反面、弓場町の土地については依然ますの所有名義のままであつたので便宜右土地について原告への所有権移転登記をしたこと、原告は右田の買受代金四〇〇、〇〇〇円は当時手許にあつた現金と勤務先である大和綿花から借入れた小切手(額面二四五、六〇〇円)で支払い、大和綿花に対しては毎月の給料によつて分割弁済したこと、以上の事実が認められる。
(3) 弓場町の土地について原告名義の所有権移転登記がなされるにつき右(2)に認定したような事情があり、かつ、右登記がなされた当時原告と栄吉がすでに事実上夫婦としての共同生活を営んでおらずまた原告自身が全く無資力、無収入でなかつたこと前示(1)のとおりとすれば、栄吉と原告が夫婦であることおよび原告が無資力、無収入であることを理由としてなされた被告の認定はにわかに肯認し難いものといわざるを得ず、他に右登記の際弓場町の土地を名実ともに原告の所有とすべき合意があつたことを認めさせるに足る証拠のない本件においては、被告の贈与の認定はその判断を誤つたものといわざるを得ない。
(二) 弓場町の家屋(別紙第一目録(二)(イ)(ロ))について
被告は、右弓場町の家屋はもと栄吉の兄岩吉の所有であつたが昭和二三年ごろ栄吉が自己の資金、資材によつて建築した家屋と交換して所有権を取得し昭和三二年三月一五日に原告へ贈与したものであると主張するところ、右弓場町の家屋がもと岩吉の所有であつたことは当事者間に争いがなく、成立につき争いのない乙四号証および証人小田岩吉の証言中には、岩吉は栄吉との間で弓場町の家屋と栄吉が建築した家屋とを交換したものであり原告はこれに関与していない旨被告の主張に副う記載ないし供述があるが、右証拠によるも弓場町の家屋と交換された家屋の材料となつた木材の出所は詳らかでなくまた、建築資金を栄吉が出捐したものとも認め難く、むしろ、証人小田栄吉および原告本人尋問の結果によれば弓場町の家屋は、昭和二三年当時、原告および栄吉の居宅ならびに栄吉が主宰経営していた小田商店の事務所として使用されていたものであるところ、岩吉から返してほしい旨の申入れがあつたので原告がその実家から送つてもらつた木材を主として岩吉の所有地上に同人のための居宅を建てこれと交換したものである旨供述するところ、右栄吉および原告の供述につきこれを全く信ぴよう性のないものとして排斥せしめるに足る証拠はなく、他に的確な証拠のない本件においては、弓場町の家屋と交換された家屋の資材資金の提供者が栄吉であつたとは断定し得ないというほかなく、ひいては、これと交換された弓場町の家屋が当然栄吉の所有に属すべきものであつたとも断定し難いといわざるを得ない。
したがつて、右弓場町の家屋が一旦栄吉の所有に帰したことを前提とする被告の認定はこれまた肯認し難いものといわねばならない。
(三) 安堂寺橋の土地(別紙第一目録(三))について
右土地についても被告は、栄吉が原告に贈与したものと主張し原告は自から買受けたと抗争するところ、証人本野昌樹の証言により成立の認められる乙六号証、証人大平武俊、同小田栄吉の各証言および原告本人尋問の結果によると、右土地はもと大平武俊が所有していたものでその隣接地とともに栄吉がこれを賃借していたものであり、栄吉の主宰していた小田商店が倒産した昭和二八年五月ごろ、以後は大和綿花が使用していたが、昭和三一年ごろ大平は納税資金を得るため右土地を売却すべく栄吉にその買取り方を申入れたものと認められ、乙六号証(大平武俊の大蔵事務官本野昌樹に対する供述聴取書)および証人大平の証言中には右土地の売買につき大平との交渉にあたつたのは主として栄吉であつて原告は時折同席したにすぎないような記載ないし供述があり、ことに乙六号証において大平が右土地の売買代金は栄吉から受領したように思う旨供述していることは、前示の如く右土地を賃借していたのが栄吉であり大平がまず買取り方を申入れたのも栄吉であつたことを考え合わせると右土地の買主が栄吉であることを推認せしめるもののように考えられないではない。
しかしながら、右土地についての売買契約書として成立につき争いのない甲一二号証には右土地の買主は原告である旨明記されているばかりでなく、証人小田栄吉および原告本人尋問の結果によれば、当時栄吉は事業に失敗した後のことでこれを買取るだけの資力はなく、一方原告はそのころ大和綿花に勤めるとともに右地上にあり同社が事務所等に使用していた建物に居住していたが、右土地の値段が比較的安いものであつたので将来子供の勉強部屋でも建てたいと考えてこれを買受けることにしその買受代金三二二、八〇〇円のうち二〇〇、〇〇〇円は知人向井常七から借入れた金員で支払つたというのであり、原告と栄吉は法律上夫婦であるとはいえ昭和二四年ごろからすでに別居生活に入つており、原告自身が全く無収入、無資力でなかつたことは前出(一)の(1)のとおりとすると、前記売買契約書の記載にかかわらず右土地の買主が栄吉であつたことにつき更に的確な立証のなされない限り、前示の如き事情があるからといつて直ちに右土地の買主が栄吉であつたとは断定し難く、他に特段の事情の認められない本件においては、いまだ、被告主張の如き贈与を認定するに足りないといわざるを得ない。
二、昭和三三年度審査決定の適否
―安堂寺橋の家屋(別紙第二目録)について―
右家屋がもと栄吉が主宰していた小田商店の所有であつたこと、同商店は右家屋を譲渡担保として島本操から五〇〇、〇〇〇円を借用していたが、昭和二八年五月ごろ同商店が倒産したことについては当事者間に争いがない。
被告は、右小田商店の倒産後栄吉が同商店に代つて島本に対する債務を支払つて右家屋の所有権を取得し、昭和三三年三月に原告に贈与したものであると主張するところ、栄吉が小田商店を主宰経営していたものであることからすれば、同人が小田商店に代つて島本に対する債務を支払うということも、事の性質上あり得ないことではないであろうが、証拠上これを認めるに足る証拠は何にもなく、むしろ、証人小田栄吉や原告本人が、その頃栄吉は原告と別居しており、右家屋には原告と子供二人が居住していたところ、島本からこれを買取るかさもなくば明渡すよう要求があつたのでやむなく原告が小田商店の島本に対する債務と同額の五〇〇、〇〇〇円で買取ることになり、原告は藤木仙太郎より借用した二〇〇、〇〇〇円および飯田貞二からの借入金三〇〇、〇〇〇円で右売買代金を支払つた旨供述していることに照らすと、栄吉がこれを買取つたものとは認められないというほかない。
尤も、大阪国税局協議団所属の協議官として調査にあたつた証人小林徳治郎は、被告が本件審査決定をするにつき行つた調査の際、前記飯田は原告には原告の主張するような金員を貸したことはない旨貸付の事実を否定していたと述べ、また、藤木についてはその資産状況からみて原告に金員を貸付する資力はないと判断した旨証言するが本件全証拠によるも右藤木の資産状況は明らかでなく果して証人小林の右判断が妥当であつたか否かはにわかに断じ難く、右小林の証言も前記栄吉の証言や原告の供述を排し、被告の主張を肯認せしめるに充分なものとは認め難い。
結局、本件全証拠によるも栄吉が右家屋を買受けたと断ずるに足りないというほかないが、原告と、栄吉が昭和二四年ごろから別居生活を続けており実質上夫婦としての共同生活を営んでいなかつたことを前示一の(一)の(1)のとおりとすれば、他に特段の事情の認められない本件においては原告と栄吉が名実ともに夫婦であることをその認定の重要な理由として昭和三三年八月三〇日原告名義に所有権移転登記がなされたときに栄吉から原告へ贈与されたと推認するほかないとする被告の認定(証人小林の証言参照)はこの点からするもにわかに首肯し難いものがあるといわねばならない。
第六、結論
以上のとおりとすると、被告が原告に対してなした昭和三二年度および昭和三三年度の各審査決定はいずれも贈与と認定するに充分な資料はないのに贈与と認定した点においてその判断を誤つたものというほかなく取消を免れないが、成立につき争いのない甲一四号証によれば、被告は原告に対し昭和四〇年三月十八日附審査決定通知書により昭和三三年分贈与税および無申告加算税決定処分のうち前記安堂寺橋の家屋とともに受贈したと認定した家庭用動産(贈与財産価額四八一、八六三円)に関する部分を取消す旨の処分をなしたことが明らかであり、これによれば、昭和三三年度審査決定中右動産に関する部分は被告自身によつて有効に取消され昭和三三年度審査決定としては当初から前記昭和三三年分贈与税決定処分のうち右動産に関する部分を取消しその余の部分に関する原告の審査請求を棄却したと同様の効力を有するものと解するのが相当であるから、本訴においてはこれを取消すこととし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 亀井左取 裁判官 谷水央 裁判官 上野茂)
第一目録
(一) 西宮市弓場町一二二番地
宅地 一四四八・一三平方メートル
(二) 右地上
家屋番号同町第一一二番
(イ) 木造瓦葺平家建居宅 一棟
建坪 七一・七三平方メートル
(ロ) 木造瓦葺平家建居宅 一棟
建坪 一一三・八八平方メートル
(三) 大阪市南区安堂寺橋通四丁目四一番地の二
宅地 一〇六・七一平方メートル
第二目録
(一) 大阪市南区安堂寺橋通四丁目四一番地上
家屋番号 同町第九三番
木造瓦葺二階建店舗居宅 一棟
建坪 九一・四七平方メートル
二階坪 六七・七六平方メートル
価額算定書 (一)
物件 弓場町の土地(別紙第一目録(一))
評価額 二、一七五、四五六円
宅地の評価は、評価しようとする宅地の賃貸価格(土地台帳法「昭和二二年法律第三〇号」によつて定められた賃貸価格)に、富裕税事務取扱通達により作成せられた相続税財産評価基準書に定められたその宅地の属する地域に適用される評価倍数を乗じて得た額によるべきものであるから、これにより右土地の価額を評価すると次のとおりとなる。
<省略>
価額算定書 (二)
物件 弓場町の家屋(別紙第一目録(二)(イ)(ロ))
評価額 八〇八、五六〇円
昭和二〇年八月一四日以前に建築の家屋の評価は、評価しようとする家屋の賃貸価格(家屋台帳法「昭和二二年法律第三一号」によつて定められている賃貸価格)に、相続税財産評価基準書に定められたその家屋の属する地域に適用される評価倍数を乗じて得た額によるべきところ、右家は昭和一四年以前に建築された家屋であるから、右評価方法にもとづきその価額を次のとおり評価した。
<省略>
価格算定書 (三)
物件 安堂寺橋の土地(別紙第一目録(三))
評価額 一、七七五、四〇〇円
評価しようとする宅地の属する地域が経済事情の変動等によつて賃貸価格を基として評価することが不適当となつた地域で路線価の設定された地域内にある宅地については当該宅地の面するおもな路線に付された路線価を基として評価すべきものであるところ、右宅地は前記路線価設定地域内に所在しているので、その価額を路線価によつて評価した。
(イ) 昭和三二年分路線価地図(昭和三〇年四月三〇日付直資四三国税庁長官通達「宅地の評価について」の別紙「宅地評価要領」に基づいて作成せられたもの)による右宅地の正面路線価(宅地の面するおもな路線価)が五五、〇〇〇円であるので、この価額に右宅地の坪数三二坪二八を乗ずると一、七七五、四〇〇円となる。
(ロ) 右宅地については、奥行調整その他の加算減算等の要はないと認められるので、右一、七七五、四〇〇円は右宅地の評価額と認めるべきものである。
評額算定書 (四)
物件 安堂寺橋の家屋(別紙第二目録)
評価額 一、六八六、五二一円(但し、右家屋内の動産価額を含む)
昭和二〇年八月一五日以後建築にかかる家屋については、当該家屋の建築価額を基として、その価額から家屋の経年減価の額を差引いて評価すべきものである。それで右家屋については、相続財産評価基準書に基づいて、その仕様科目別に木造家屋の級別鑑定表と対照し三級相当と認定(右家屋は昭和三四年一〇月六日取壊しているため調査当時仕様不明のため三級の評点によつた)して、坪当り評点を六五点とした。そしてこれに用途別建築費指数一・〇〇階層による建築指数〇・九五および家屋の床面積四八坪一七を乗じた総評点を一点当り価額七五〇円に乗じて算出した価額に、戦後建築家屋の経過年数に応ずる残価率〇、五四(右家屋は昭和二五年一〇月一日建築にかかるものであつて、その後贈与のあつた昭和三三年八月までの経過年数八年、右家屋の耐用年数三〇年にて算出)を乗じた価額一、二〇四、〇五八円をその評価額と認めた。
なお、右家屋については、贈与者小田栄吉が居住していたのであるから、家庭用動産も合わせて贈与されているものと認め、前記家屋の評価額一、二〇四、〇五八円の少く見積つても四割相当額四八一、六二三円をその価額として家屋の価額に加算して一、六八六、五二一円を贈与財産の評価額とした。
(1点当り価額) 坪当り評点 用途別指数 階層別指数 延坪数 残価率
750円×(65×1.00×0.95×48.17)×0.54=1,204,058円
1,204,058円×(1+0.4)=1,686,521円